浅草九倶楽部

お問い合わせ Contact

浅草九劇、銀座九劇アカデミアのご利用に関するお問い合わせは、以下フォームボタンからご連絡ください。
担当者から追って連絡いたします。内容によっては返信しかねる場合もございますのでご了承ください。

個人情報保護方針をご一読の上、お問い合わせください。
WIRED HOTELのご利用についてはこちらからお問い合わせください。

*マークがついている項目は入力必須です

団体名・法人名
お名前*
フリガナ*
メールアドレス*
電話番号*
※ハイフン無し
お問い合わせ種別*
お問い合わせ内容 *
※最大1,000文字

その他不明点等に関しては、下記の番号・アドレスにお問い合わせください
浅草九劇に関するお問い合わせ
電話番号:03-5759-8009
メールアドレス:info_kyugeki@lespros.co.jp

銀座九劇アカデミアに関するお問い合わせ
電話番号:03-5759-8009
メールアドレス:info_academia@lespros.co.jp

レポート
REPORT

  • 2018.02.28

    阿佐ヶ谷スパイダース主宰・長塚圭史によるワークショップ『小説・詩と走る朝の960分』/『戯曲と歩く午後の960分』の最終発表レポート

    #ワークショップ

    ■劇団も取り入れるウォーミングアップで汗をかく

    レプロエンタテインメントが企画・運営する劇場、浅草九劇。ベッド&メイキングスによるこけら落とし公演『あたらしいエクスプロージョン』(作・演出/福原充則)が、本年の岸田國士戯曲賞に選ばれたのは、劇場関係者にとってうれしいニュースだったに違いない。浅草九劇を発表の場とすれば、学びの場として機能しているのが銀座九劇アカデミアだ。これまでもあらゆるワークショップが開催されてきたが、今年2月に2コマ4回ずつのワークショップが開催された。阿佐ヶ谷スパイダース主宰・長塚圭史による『小説・詩と走る朝の960分』/『戯曲と歩く午後の960分』だ。

    取材班が訪れたのは、『戯曲と歩く午後の960分』の最終日、2月23日16時からおこなわれた最終発表の日である。テキストに選ばれたのはテネシー・ウィリアムズ『ガラスの動物園』。終盤、ローラとジムのダイアローグのあいだで繰り広げられるシーンが男女ペアで一組となって発表された。

    ワークショップの冒頭はウォーミングアップから始まった。俳優たちが二手に分かれ、円を作る。一方には、長塚も加わっている。相手の名前を呼びかけながら、同時に二つのボール回すなどルールを増やしていくというもの。これは、長塚氏が英国留学で知ったものをアレンジしたのだという。初見の取材班には、とても複雑に見えた。

    「これは劇団でもやっていて、頭が活性化するので取り入れているんです。次第に俳優が混乱してしまい、うまくいかないこともありますが、失敗しても責めないことがポイントです。俳優たちがサボれないゲームなんです」と、長塚氏。

    ウォーミングアップは続く。今度は3人組となり、2人で1人を囲む姿勢をとる。「オオカミがきたぞ」と誰かが叫ぶと、中の1人が動き出し、ほかの組を探す。「木こりが来たぞ」で外側を囲んでいる2人が動く。「嵐がきたぞ」でシャッフルされ、全員が動き出す。フルーツバスケットのように、取り残された人が「〇〇が来たぞ」と声を出すというゲームだ。

    ■『ガラスの動物園』をテキストにした『戯曲と歩く午後の960分』

    一通り汗をかいたところで、発表の時間となった。『ガラスの動物園』といえば、『欲望という名の電車』と双璧をなす、テネシー・ウィリアムズの名作戯曲。1930年代のセントルイスを舞台に、ウィングフィールド一家の相克と、娘のローラとジムの恋模様が描かれた作品である。足が悪く内向的な性格のローラ・ウィングフィールドが、弟・トムの同僚で、かつてハイスクールで恋愛感情を抱いていたジム・オコナーがやってくるシーンの一部が、ワークショップのテキストとなった。

    新潮文庫の『ガラスの動物園』を参照すると、ワークショップのテキストとされたのは133ページから171ページのシーンで、かなりの長さがある。長いダイアローグを止めることなく、カップルが入れ替わり、シーンをつないで演技していく。その間、長塚氏はずっと見つめていて、声を発することもなかった。

    ダイアローグのシーンが一通り終わり、時刻は18時を超えていた。ここで、発表した10組のローラとジムの演技について細かく講評を加えた。丁寧かつ真摯な長塚の語り口。頭ごなしに否定することなく、円滑なムードでワークショップは進行していった。全体に向けて長塚氏は、「うまくやろうと思わず、それよりも関係を楽しんで」と話していた。

    休憩をはさみ、再開されたのは18時40分。同じ要領でシーンをつないで各カップルが演技していく。後半戦も、10組のローラとジムが、それぞれの関係性を演じていった。幾人ものローラやジムを眺めていると、おのずと個性の違いが現出されていく。ジムという1人の男性なのに、好戦的であったり、少し滑稽であったりと、演じていく数だけのジム像が立ち上がっていった。それは、ローラにしても同様のことだった。

    すべての発表が終わり、総評として長塚氏が俳優たちに語ったのは、「役の本質を掴むことは大切だが、その上でそれぞれの個性に応じて役を楽しんでほしい」という言葉だった。

    ■俳優が俳優に触発されるという豊かさ

    ちなみに、『小説・詩と走る朝の960分』ではまったく異なるアプローチで進められたという。酒場のシーンを限定して小説から演劇的なシーンを作り上げることを目的としたワークショップは、太宰治の『貨幣』がテキストに選ばれていた。

    4時間におよぶワークショップが終了し、受講生に話を聞いてみた。

    「そもそも、戯曲に対して違和感があったときに、自分のなかでどう咀嚼するといいのか糸口を探したくて、今回のワークショップを受けました。1回4時間、計4回で、もっと続けたいと思うほど濃密でした。ワークショップ以外の時間もずっと戯曲について考えていました」(佐藤千夏さん)

    計1920時間のワークショップを終えた長塚。最後にこう結んでくれた。

    「みんながどういう役者さんなのか、細かくプロフィールを見たわけではないのでよくわからないのですが、作りたい演じたいというエネルギーに溢れていたので、日々新鮮に出来ました。やっぱり僕は、俳優と作るのが好きなんだな、ということを再確認できた。基本的には、俳優は演出家からインスピレーションを受けて芝居を立ち上げるのですが、昼のクラスは俳優さん自身がアイデアを出して作っていく作業でした。それぞれがいろんな発想を加えていくこと、それを楽しめること自体が俳優さんにとって必要なスキルだと僕は考えています。一方、戯曲を読み込んで、ディスカッションする夜のクラス。宿題に取り組み深まっていくローラとジムにオリジナリティが生まれました。結果、いろいろな角度から『ガラスの動物園』を見ることができる。そして、別のカップルのローラとジムを観て触発されるということが起きる。それは俳優さんにとって、とても豊かな状態だと思うんです」

    撮影・取材・文/田中大介

  • 2017.12.29

    ステラ・アドラー・ジャパン集中ワークショップ体験レポート

    #ワークショップ

    ■ステラ・アドラー・テクニックとの出会い

    ニューメキシコ州サンタ・フェの大学に留学中、リアリズム演技手法の礎とされているスタニスラフスキー・システムや、いわゆる「メソッド」と称されているアクティングクラスを履修する機会に恵まれた。だが残念なことに、当時俳優を目指しながらも限界を感じ、深く学びあげるところまで至らなかった。

    その後、キャスティング・ディレクターという天職に出会い、ハリウッド映画など世界中のアクターと国境を越えて関わるうちに、日本のアクターの足りない点が見えてきた。言葉の壁はもちろん、それ以外の演技に対する力不足だ。それは、正しく学ぶ環境が日本には根付いていない、ということだった。

    国内の活動拠点を拡大しつつも、常にその不安はつきまとった。

    そんな中、ステラ・アドラー・スタジオ出身の梶原涼晴氏(合同会社ドリームシーズ/アクターズクリニック代表)と縁あって出逢うことになる。日本における演技教育のあり方について定期的に議論するようになった。

    そもそもステラ・アドラー・テクニックとはいったいどういったテクニックなのか?

    現代演劇、すなわちリアリズム演劇の礎は、スタニスラフスキー・システムであることに間違いないが、そこからの分派は多岐にわたり、その優劣や本家分家といった議論は諸説ある。

    梶原氏との定期勉強会(勉強会と言っても場所は決まって代々木の串カツ屋)での彼の言葉は腑に落ちた。

    「メソッドでも、マイズナーでも、アドラーでも、どれでもいい、もっと言うと、どれもいい。とにかく日本人は学びをもっと尊重すべきだ」

    もう少し踏み込むと、と梶原氏は続けた。

    「メソッドは自分自身(個人的な感情の記憶)と向き合い、マイズナーは(主にレペテションという手法を用いて)パートナーとの関係性や距離感を尊重し、アドラーは脚本理解に基づいた忠実な役作りに重きを置いている」

    私が記憶をたどると、アドラーが主張していたのは
    『イマジネーションなくして役作りはできない、メソッドが唱える「感情の記憶」は素材の一部でしかない』ということだ。

    そのとき、ステラ・アドラー・テクニックを深く知るということはとても大事なことだと知った。引き寄せられるかのように昨年末のワークショップに参加することとなった。

    ■プロフェッショナルクラス

    初日からして想像を超える言葉の質と量に完全に頭がついて行かず、衝撃を受けた。

    その言葉の主は、ステラ・アドラー・スタジオ主任講師のロン・バラス氏である。彼の頭の中には、演劇に関する歴史と知識が宇宙のように拡がっていると思えた。プロフェッショナルクラスは全8回のうち、前半はオーディションテクニック、後半はパートナーワークだった。

    スタートしてランチブレイクまでのおよそ90分間、オーディションテクニックのレクチャーが始まるかと思いきや、否!

    プロフェッショナルクラスの精鋭たちひとりひとりに、「今朝、何を見た?」という質問。何人かは返答に詰まる。それもそのはず、私達は日常で、「見る」ことを意識していない。いつも忙しくて……。私も山のようなキャスティング案件をひきずりながらこのスタジオに辿り着いたわけだし、道中で落ち着いて何かを見る、なんてゆとりない。そうは言っても何も見ずにここまで辿り着けるはずもなく、つまり私は今朝、オフィスからここまでの道中、いろいろ見てきたのは確かだ。自分のオフィス、エレベーター、エントランスロビー、ドア、空、街並み、駅、改札、人ごみ、車内吊り広告、高速道路……いつも通りの光景を見てきた。私のようにごく当たり前の回答、面白みのない回答を思いつくアクターも少なくなかった。

    ロンは特別にドラマチックな発言を期待しているということでもないようだ。

    「(何かを)見たという体験を、そのまま今この場で皆と共有するだけでいい。何も壮大なドラマを求めているわけじゃない。安心して。私はロマンチストではないから。むしろ究極的な現実主義者だ」

    なるほど現代演劇がチェーホフから始まった「リアリズム演劇」であることを考えると、俳優も夢見るロマンチストよりは物事を具体的に捉える現実主義者の方が向いているのかもしれない。それにしても、この「見る」ことに意識を傾ける習慣が、実は演技にとってとても大切なことであり、後々演技のプロセスに欠かせない基本的要素である、とは想像だにしなかった。

    一通りアクターたちとの共有が終わると、ロンはおもむろに「あるもの」を持って立ち上がった。私たち日本人には馴染みのあるそのものとは、大きな「リン」だ。ロンは日本の仏壇にあるようなそれよりもふたまわり大きな「リン」と「リン棒」を持って言った。

    「7つ数える間に鼻から息を吸って、次に息を止めて、それから14数えきるまでに『アー』と言いながら息を吐ききってください。その後このリンを鳴すから耳を澄まして、その音を聞いて。聞こえなくなったら手を挙げて―」。

    皆で目を瞑る。7カウント息を吸い、しばらく我慢して、次の7カウントで『アー』という具合だ。その後のリンの音。ロンのクラスでは、五感が優しく揺り起こされる。

    いよいよオーディションテクニックのレクチャーが始まる。

    通常ビデオカメラを前に、「読み手」とセリフのやりとりをする、という段取りで進められる。私の経験でも、これがグローバルスタンダードであり、最もオーソドックスなオーディションの進め方である。使用される台本のシーンのボリュームは、それほど大きくはない。シーンによってはたった数行のケースもある。

    ロンはまず、アクターが取り組むシーンが本質的に何を表現しているのかを問う。ただそれはあくまでもスタート地点の共有に過ぎない。ロンは次にシーンをいくつかの「ビート」に分けていく(※ここで言う「ビート」とは、「区切り」という意味が近いだろう。もともとはロシアとアメリカのアクターが台本解釈について語り合っていた際にアメリカ人アクターが発した「ビット(bit)」をロシア人のアクターが「ビート(beat)」と聞き間違えて生まれた言葉らしい)。

    そしてその「ビート」ごとに、台本から感じ取れるキャラクターとして実践したいアクション(行動)を、「ムーヴメント(または、ジェスチャー)」にしてみる。「ビート」ごとのこの作業は、想像以上に細かく「分解」されるのだが、気になるのは「ムーヴメント」。

    リアリズムをそれなりに学んできた私は、ここで早速疑問を禁じ得ない。ビートごとにそんな風に、それこそパントマイムのようにムーヴメントを使って表現をするというのは、「不自然」ではないか?アクターたちも一様に混乱している。しかしロンはすべてお見通しであるかのように続ける。

    「そのムーヴメントを、一旦自分の中に取り込んで、『体験』をしてみて」

    (英語と日本語とで多少意味がズレてしまう恐れがあるので、ロンがよく使った単語を念のため記しておくと、彼は、ムーヴメントを体験し、それがセリフとして再び自分の外に出て行く、という様を説明する際、しばしば「スピン(spin)」という単語を使っていた。恐らく、自分の中に取り込んだムーヴメントを、セリフをもって『体験』するとき、その様は「スピン」して出て来るイメージ、ということだったのではないか)。

    また、ムーヴメントのチョイスに関しては、単純な動詞を持ってくるよりも、イディオム(熟語、慣用句)を選ぶようにすると奥深さが増し、アクションの単調化が比較的避けやすくなるということだった。

    それにしても、なぜ、わざわざこのように遠回りしなければならないのだろうか。

    俗に言うところの「心を込めてセリフを……」といったアプローチではなぜ足りないのか。

    そんな疑問に対するロンの答えはシンプルだった。

    「脚本家が書いた嘘の世界(セリフ)を、いくら真実味をもって説明したり表現したりしても、それは嘘でしかない。アクターがしなくてはならないことは、脚本家が書いた嘘の世界を、アクションを通じて『体験』すること。そうすることで、嘘の世界は初めて真実へと昇華する」

    思うと、日本のテレビドラマ等でしばしば要求されるリアリティは、実は本来演劇的な価値のないリアリティであることが多い。ひとつは何気ない日常のリアリティ、もうひとつは、無理やり汗をかいて得られる体育会的リアリティ。そのどちらもセリフをどう解釈し取り扱うか、というレベルに終始している。

    そうは言っても、ここまで学術的に演技を分解し、分析し、実際に現場で活用していくことに、「そこまで細かく考えないとダメなの?」と懐疑的な面も残る。だって何だか息苦しくて、肩が凝るではないか。

    確かに映像現場は無制限に自由ではいられない。特にテクニカルな事情で何度も撮り直しをしなければならないことも日常茶飯事。

    ロンはこうも言う。

    「日常生活で体験するのと同じように、感情から行動を起こしてしまうと、一回目は新鮮に過ごせても、撮り直しとなったら最後、そこで手詰まりになってしまう。だから、演技の場合は不思議なことにこの順序が入れ替わる。行動があって、その結果、感情が生まれる」

    なるほどそうだ、彼は現実主義者だった。

    残りのレクチャーも、ここでは紹介しきれない貴重な言葉がぎっしり詰まった4日間だった。すべて紹介したいところだが、それこそオーディションテクニックだけでも読むのに4日かかるほどの情報量なので我慢しよう(笑)。

    さて、後半戦はパートナーワーク。

    今度は撮影現場本番を想定して、オンカメラで進めていくわけだが、やはり最初は「テーブルワーク」と呼ばれる作業を皆で行った。オーディションテクニックで実践した「ビート」ごとの細かな作業である。アクターたちもここまで来て少しコツを得てきたのか、このアクション(すなわち、ムーヴメント)を決め込む作業を楽しんでるようだった。

    ロンの言葉を借りて言うならば、
    「脚本家が描いた結果に、アクターが原因を埋めていく作業」
    とてもクリエイティブな時間が流れる。それからようやく本番を想定したリハーサルを経てオンカメラでのワーク。

    リハーサルのあたりからアクターは改めて、これが映像向けに特化したアクティングクラスであることを痛感する。身体の動きはおろか、顔も、目線も、極度に制限された中でアクションを「体験」しなければならないのだ。それも今度は自分一人ではなく、パートナーとの不確定なやりとりの中で。バストアップのフレームでのシーンとした場合、フレームアウトするアクターが続出。

    撮影された映像を見ると、常にアクターを取り巻く環境を創り上げ、目の前で流れる時間が真実であることを担保するのは「目線」だ、と誰もが強く認識する。目が嘘をつくと、それ以外のすべては嘘になる。目が真実を語っていれば、観客は自然と身を乗り出すのだ。しかしそれでもロンは現実主義者であり、冷静だ。ロンの視線は、アクターが「どう見えるか」よりも、その裏で「何をしているのか」に注がれる。何十年にも亘り、数え切れないくらいのアーティストを世に送り出してきたロンの演技観は、いつどんな状況でも変わらず静かにそこにあった。

    ■レギュラークラス

    レギュラークラスは、全7回のレッスン。

    主に「アクション(行動)」及び「ジャスティフィケーション(理由付け)」について習得する。

    実はこの「ジャスティフィケーション」に関するレクチャーに最も興味を感じていた。

    アクティング=アクションの実践、すなわち、演技とは、行動すること、という前提において、アクションの「理由」をどう持ちうるか、当然「ただ何となく」アクションを実践してもそこには説得力はない。

    さて、設定は、空港の仮設ロビー。

    そこへアクターたちがぞろぞろと現れる。搭乗する便は皆同じだが、その目的やここに至る経緯はそれぞれ異なる。ここで既にジャスティフィケーションが始まっている。「目的地へ行く理由付け」だ。

    今回は、ハワイのホノルル国際空港行の便に搭乗、滞在は僅か1日、それからトンボ返りして成田へ、という旅程だ。

    自分は一体なぜホノルル空港へ行くのか、一体何をしに行くのか、その「理由」を具体的に細かく創り上げて、次回のクラスでアクターたちは1泊3日分の「理由」をたくさん詰めたスーツケースを持って現れる。これだけでも相当な作業量だ。ただそれだけでは終わらない。

    「今からスーツケースを持ってドアの向こうへ出て行って。合図があったら、この仮設ロビーに入って来ていくつかのアクティビティをして欲しい。それを5分以内にすべて終わらせて、ロビー中央に用意されている椅子に座ってアクティビティを続けてください」

    決められたゴールに慣れきっている若者たちは、何かひとつでも抜けたら大変だといった形相で必死にロンのオリエンテーションを注視する。規定課題として出されたアクティビティとは、「名簿にサインアップする」、「本などがたくさん置いてあるテーブルへ行ってそこにあるものを物色する」、「売店へ行ってそこにあるものを物色する」というようなことであったと記憶している。ご想像の通り、これらすべてにスーツケースに詰められた「キャラクターの歴史」と繋がる「理由」が必要だ。つまり、本棚で本を手に取る理由が、「ただ読みたいから」とか、「面白そうだから」では、弱い。自分のキャラクターであり、そのキャラクターが背負っている歴史から導かれる理由であることが要求される。しかしこんなことをひとつひとついちいち本番で考えていたら、演技する余裕なんてなくなってしまうではないか、とも思った。

    だが、ロンは言う
    「何度もトレーニングをして順序と構造を身体で覚えたら、ひとつひとつわざわざ考えなくてもできるようになる」と。

    それをトレーニングなしでできるのが、「天才」なのかもしれない。

    こうして彼らは未だ一言もセリフを与えられず、指定されたアクティビティを一定の条件下で実践するだけで十分過ぎるほどにキャパオーバーだ。その様を見ていて素直に感心したのは、既に彼らはスーツケース一つ分の「真実」を獲得しているということだった。事実、こういった作業は誰にとっても面倒なことなのでその価値が分からない限り現場では割愛して誤魔化してしまうアクターも少なくないだろう。

    さて、追ってロンから新たなミッションが与えられる。

    それは、ホノルルに持って行く予定だった指輪をなくしてしまっていることに気づくこと。それ以降に9つの指定されたアクションを実践すること。

    この時点でも、まだセリフは与えられない。

    しかしイキナリ9つのアクション、それも、「インダイレクト・アクション」、(パートナーに直接向かわないアクションを意味する。もともと限られたインダイレクト・アクションのうち、代表的なものは、例えば「回想する」、「夢見る」といったような自分一人で完結し得るアクションが挙げられる)。で言うところの「段取り」のようなインダイレクト・アクションを順序通り積み上げるだけでもアクターたちは悪戦苦闘するところなのだが、重要なことはそこではない。

    そのひとつひとつが、自分で創り上げたキャラクターにとって「真実」であることなのだ。ひとつひとつに、それ相当の「理由」が要求される。

    最も興味深いのは、理由のチョイスについてロンが言った言葉だった。

    「あらゆるチョイスの中からひとつの理由を決め込む拠り所は、『その理由によって自分はどれくらい強い刺激を受けるか』だ。その刺激の大きさが、アクションの大きさを左右し、ひいてはシーンのサイズを決定づける」

    なるほど。演技においてアクションが「真実」であることはもちろん大前提として必要だが、忘れてはならないことはそれが脚本に描かれているサイズに相応しいか、ということだ。シーンの最中、何もしなければ確かにそれはある意味真実ではあるが、同時に何も起きていない以上、シーンとしてそこにそのキャラクターが存在する意味すら消失してしまう。

    さて、空港での一幕も終盤。

    先に述べた9つのインダイレクト・アクションに、いよいよセリフが足される。じっくり「体験」すると、単に空港ロビーで数分待っていろいろ物色しているうちに持っいてたはずの指輪がないことに気づく。あれこれ探し回ったり記憶を辿ったりする、という一連の「段取り」も、猛烈な密度であることに気づかされる。それだけでも大きな収穫だ。

    最後に、指輪を失くした20余名の主人公たちは、任意の2~3人のパートナーに対して、指輪を失くしてしまったことを伝え、その指輪がどういう指輪かを説明し、そしてその指輪について何か知っていることはないかを尋ねる。いよいよダイレクト・アクションの実践だ。主人公は、自分が決めたパートナーに対し、それぞれのパートナーから受ける印象に基づいてアクションを決める。これもプロフェッショナルクラスと同じように、一旦ムーヴメントにしてみるという作業を経て、本番ではそれを自分の内面に落とし込んでセリフと一緒に「体験」する、といったワークだ。こうすることで、与えられたセリフの意味から自分自身を一旦解放し、あくまでパートナーに対するアクションの実践を最優先していくことに慣れていくのだ。

    ロンはこう付け足す。
    「アクションをムーヴメントとして可視化していくプロセスは、とてもトリッキーで思わぬ方向へ滑ってしまいやすい。それらに慣れていく方法のひとつは、経験の積み重ねだ」

    ■ワークショップを終えて

    今回ロン・バラス氏のワークショップに初めて参加し、レギュラークラス、プロフェッショナルクラスの両方で学んだことは、何よりもまず、映像に特化したトレーニングの必要性であった。もちろん舞台も映像も基本的構造は同じだが、現場レベルで要求されるテクニックは、トレーニングなしには身につくものではない。また、現代のリアリズム演技とは、自己主張の強い過去から自分自身を現在へと連れ戻し、セリフという先入観から自分を解放し、自分が強く刺激を受ける理由をもって、アクションを自分の中に取り込み、体験し続けることだった。言うは易し、評論するだけでは身につくものでは到底ない。

    日本で「演技レッスン」というと、しばしば、「エチュード」という言葉が聞かれる。これは、アクターたちに即興劇をやらせてその良し悪しを講師がコメントすることだろう。または「シーン」。講師にとっては最も楽な時間の潰し方だ。なぜなら、アクターたちに数ページのシーンを手渡し、覚えさせ、実際にやらせて、エチュードと同じようにその良し悪しをコメントすれば良いのだ。講師から良かった悪かったと言われて、アクターたちに何の収穫があろう、全くない。

    ステラ・アドラーの言葉を借りると、
    「演劇は2000年の歴史を持ち、俳優はその歴史を学び、次の時代へと継承していく責任を負っている」
    「良いね、ダメだね」で語れる世界ではないはずだ。

    だからこそ、現代のアクターには、殊日本のアクターには、歴史を尊ぶ精神と、学びを尊重する意思が不可欠だ。そして我々裏方は、彼らが深く演技に触れ、それを継承できる環境の必要性を声高に叫び続けていくことだ。学びの機会と場を増やしていくことを切に願い、尽力することを胸に誓った。


    <プロフィール>
    岩上紘一郎(いわがみこういちろう/Ko Iwagami):キャスティングディレクター、プロデューサー。1985年東京生まれ。幼い頃、映画『インディー・ジョーンズ』シリーズを観て、映画人になることを決心。 中学卒業後、単身でアメリカへ留学し、ニューメキシコ州サンタフェの大学在学中にインターンとして映画制作に携わる。 2009年ロバート・ダウニー・Jr.主演の映画『デュー・デート』より、制作スタッフとして本格的にハリウッド映画界へ。 『ブレイキング・バッド』『アベンジャーズ』『ラストスタンド』『ウルヴァリン:SAMURAI』など数多くの大作に参加。 海外作品を中心に、映画、CM、ミュージックビデオ等に携わっている。 世界で評価されるクールな日本人を輩出することを使命とし、キャスティングディレクターとして独立。株式会社カイジュウを立上げる。最近では、映画『THE FOREST』にて小澤征悦、米ドラマ『GIRLS』にて水嶋ヒロのアメリカデビューへの橋渡しを担った。 株式会社カイジュウ 代表取締役。

    ワークショップ記録

    ステラ・アドラー・スタジオ・オブ・アクティング in 銀座九劇アカデミア

    【レギュラークラス】全6回+発表会
    ■日時:
    2017年12月13日(水)14日(木)16日(土)18日(月)19日(火)20日(水)各18時~21時
    2017年12月22日(金)13時~16時(発表会)

    【プロフェッショナルクラス】全8回
    ■日時:
    2017年12月13日(水)14日(木)15日(金)16日(土)18日(月)19日(火)20日(水)21日(木)各11時~17時

    ■会場:銀座九劇アカデミア
    ■公式サイト:https://asakusa-kokono.com/academia/

  • 2017.10.31

    銀座九劇アカデミア見学レポート ベッド&メイキングス 富岡晃一郎&福原充則のワークショップに笑いが生まれるプロセスをみた

    #ワークショップ

    銀座九劇アカデミアにて、劇作家・演出家の福原充則と俳優の富岡晃一郎のベッド&メイキングスによる演劇ワークショップが開催された。「銀座九劇アカデミア」は次世代の人材を育成するための場として、今年の3月に開設された。同時期に新しくオープンした小劇場「浅草九劇」と同じく、芸能プロダクションのレプロエンタテイメントが運営する施設だ。
    銀座九劇アカデミアのコンセプトは「プロフェッショナルの、プロフェッショナルによる、プロフェッショナルのためのエンタテインメント研究所」。これまでにも益山貴司(劇作家、演出家、俳優)、崔洋一(映画監督)、小野寺修二(演出家)、広崎うらん(振付家)等が講師をつとめ、ワークショップを開催してきた。スタジオは、銀座一丁目にある鈴木ビルディング。1929年に竣工、現在は東京都選定歴史建造物にも指定されている建物とあり、外観の窓の造りや共有スペースの階段の手すりなど、端々にレトロな趣を感じる。



    今回レポートするのは、浅草九劇の杮落し公演も務めたBED&MAKINGSが講師を務めるワークショップだ。銀座九劇アカデミアを訪ねると、全4回にわたるワークショップのうち2回目が行われているところだった。参加者は5人1組×4グループに分かれ本読みをする。この時に使っていた台本は、福原が執筆した短編『センチメンタル吐瀉物』。登場人物は、子供を持つ5人の女。ラブホテルの一室で、揉みあっているところから始まる。




    福原と富岡は参加者と同じ目線で各グループに混ざりじっくり耳を傾ける。時々止めてコメントをする。
    「何についてイラっとしてどこにカチンときているのかを意識して。もう1回やってみて」「うん、そっちの方がいいね」「言葉の強さを抑えたときに感情まで抑えないように気を付けてやってみようか」

    台本のなんてことのない一言と思われた台詞が、福原の演出が加わることでおかしみが滲み出てくる。劇場の客席にいれば爆笑したかもしれないが、ワークショップでそのプロセスを目の当たりにすると、笑うより先に感動してしまった。




    その後に全員が聞く中で、グループごとに本読みをする。福原のコメントの中で印象的だったキーワードは、「ステイタス」。ごくごく簡単にいうと、劇中の人物たちの順位付けをしようというアドバイスだ。

    「(登場人物のひとりである)上尾がこの事件が起こる前の5人の集団の中では元々どういうポジションだったのか。5人の集団にNo.1からNo.5までの順位があったのか、それともNo.1がひとりで残り4人は横並びなのか。何番にいるのかによって、例えば『うん』という一言の台詞にも2、3パターンはある。集団の中での関係性や順位を気にするだけで、読み方は相当変わってきます」
    真剣な面持ちで耳を傾ける参加者たちに福原は、「ここまで役者さんの方で立ち上げられるようになると、“気の利いた役者さん”になれるんじゃないですか?」と付け加えてニヤリ。参加されている方々の「なるほど」という頷きとともに、笑いに包まれた一幕だった。



    参加の決め手は「好きだから」
    第1回目は台本を使わず、ワークショップとエチュードを行ったそう。「ワークショップの間、常に体を動かしていました」と振り返るのは参加者のQ本かよさん。今回参加したきっかけは「福原さんの作品が好きだったので」とのこと。
    「ワークショップというものに初めて参加した」という多田香織さん(劇団KAKUTA)も、参加の決め手は講師だったそう。「『俺節』(2017年、脚本・演出:福原充則)を観て、商業演劇でありながらこんなにガツーンと胸にくる作品があるんだと衝撃を受け、福原さんの作品作りに興味をもちました」
    銀座九劇アカデミアが掲げるコンセプトのとおり、第一線で活躍するプロフェッショナルの講師から、この距離感と空気間で指導を受けられる機会は貴重だ。それに加え、参加者同士から受ける刺激も今後の学びになるだろう。
    銀座九劇アカデミアに参加していた、多田さん(左)とQ本さん。 (撮影:塚田史香)

    12月はステラアドラー」
    福原は次週の予告に絡め、勝新太郎の名前を出した。
    「勝新太郎さんのように色気のある役者が好きです。人間としての色気であり、エロい必要はないのですが、最近の若い役者さんにはそれが足りないような気がします。どうやったら色気を出せるのか、来週以降はそんなことをみんなで考えたいです」
    銀座九劇アカデミアでは今後も興味深い企画が予定されている。12月にはNYの演劇学校『ステラ・アドラー・スタジオ』より主任講師ロン・バラスを招き、ワークショップを行う。ロバート・デ・ニーロやマーロン・ブランド等、ハリウッドスターも実践する演技理論を一流の指導者から学ぶチャンスだ。詳しくは公式サイトにてチェックをしてほしい。




    取材・文・撮影=塚田史香
    イベントデータ(イベントは終了)
    ベッド&メイキングス 富岡晃一郎&福原充則 ワークショップ
    ■日時:2017年10月4日(水)11日(水)18日(水)25日(水)各12時~17時■会場:銀座九劇アカデミア■公式サイト:https://asakusa-kokono.com/academia/



    SPICER
    サイトはこちら
    https://spice.eplus.jp/articles/152542

    塚田史香
    ライター
    東京在住。ペーパードライバー。ペーパー学芸員。自宅、劇場、美術館が好きです。

  • 2017.08.28

    小野寺修二ワークショップ in銀座九劇アカデミア「ただ、立つことから始めてみよう」レポート

    #ワークショップ

    カンパニーデラシネラ主宰・演出家の小野寺修二さんによるワークショップ「ただ、立つことから始めてみよう」が、8月18日(金)に「銀座九劇アカデミア」にて開催されました。同ワークショップは、舞台上で存在することの基本であり、全てである「立つ」という動作から、身体について考えるというもの。女優の高畑敦子さんや倉科カナさんを含む24名が生徒として参加しました。


    まず、マイムのベースの考えとなる”身体を分解する”ことを紹介し、「腕を床について肘だけを動かす」などシンプルな動作から「どこを動かすとどこが動くか」を探り、自分の身体がどうなっているか見つめることからスタート。その後、「寝ている状態から立ち上がる」、「2人組で背中合わせに立つ」等、様々な動作を実践。普段気がついていない自身の身体の不自由さを発見した受講者たちからは、驚きの声があがりました。



    途中、「床に手を”置く”ことと床を”触る”ことの違いは何か?」と小野寺さんから質問が投げかけられました。外から見ると同じ動作に見えるが、時間の経過で考えると”置く”ことは動きがそこで終了する。一方、”触る”ことはそこから感情が始まる、動きが持続すると考えられる。受講者は、同じ動作でもその後の流れを考えて”置く”のか”触る”のかを意識することを学びました。



    小野寺さんは最後に、ダンスとマイムの違いに関して「ダンスは外に開放していく作業、マイムは内に入っていく作業」と語り、「喋らないことから何が生まれるか?『こういうことをやろう』ではなく、何か思わぬものが出てくる。その人自身のエネルギーで状況を変えられる。それが、台詞に縛られない強さ。身体ひとつで舞台に上がるわけなので、いかに人間力をあげていくか?そのために、まずは自分にはどのくらいのことができるのか、自分の身体を見つめ直すことから始めるのはどうだろう」とアドバイスをしました。


読み込む